京都千年天文街道

天文と歴史のツアー開催中

 主催: 認定NPO法人花山星空ネットワーク
 共催: 京都大学大学院理学研究科附属天文台
 後援: 京都府教育委員会 、 京都大学総合博物館、
京都市教育委員会
 協力: 京都情報大学院大学、株式会社ビューティフルツアー

一條戻橋界隈

一條戻橋界隈

SN3F0295  明月記コースの第2ポイントである一條戻橋を渡って最初の角の南西の隅にこんな石碑がぽつんと立っています。ここは幕末に薩摩の小松帯刀が居た近衛邸があったところ、応仁の乱の最初の合戦が起こったところ、さらに源頼光、藤原道綱母子の屋敷があったところと歴史上重要スポットですが、今は一般民家の敷地内です。この石碑まだ新しく字もはっきり読めます。源頼光、藤原道綱母子は安倍晴明と同時代です。  藤原道綱(955-1020)は兼家の次男ですが、兄弟の中で摂政・関白にはなれず「右大将」に肩書きで名を残しています。彼の母、右大将道綱母は、名前は伝わっていませんが、才色兼備の女性、『蜻蛉日記』の作者として有名ですね。兼家には道隆、道綱、道兼、道長という息子がいますが、道綱だけ母が違っていて昇進は遅れました。この屋敷で母子は兼家の通ってくるのを待ちわびていたのでしょうか。道綱母の恨めしく兼家を慕う歌が百人一首に載っています。兼家は東三条(押小路釜座:烏丸御池の北西)の邸に幼い一條天皇を住まわせ外祖父・摂政として天下の実権を握っていました。道綱は父親兄弟のような政治的野心も母親のような文学的素養もなかったようです。右大将に昇進したのは41歳、異母弟道長の時代になってからです。  源頼光(948-1021)と言えば清和源氏3代目、坂田金時や渡辺綱たちを連れて「大江山酒呑童子の鬼退治」をしたことで有名ですね。実はこの話に安倍晴明が登場します。さらわれた姫たちはどこにいるか、晴明が占った結果、大江山と言う場所がわかったそうです。晴明がその報告をする姿やまた頼光が征伐命令を受ける姿は室町時代に作られた『大江山酒天童子絵巻物』(国立国会図書館デジタル資料)で見ることができます。頼光たちが鬼退治に行くのは995年、一條天皇の勅命によるものですが、実際にはこの年に朝廷の実権を握った道長の命令です。頼光も晴明も道長に仕えていますからよく顔を合わせていたでしょうね。この時頼光は47歳ですが、晴明はすでに70歳を越えているはずです。この大江山は丹波ではなく近江の伊吹山という話もあるそうです。  なお道長の邸が火災に遭ったとき、頼光はいち早く見舞いに駈けつけ再建に尽力するなど武勇だけでなく、如才なく振る舞っていたようです

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