京都千年天文街道

天文と歴史のツアー開催中

 主催: 認定NPO法人花山星空ネットワーク
 共催: 京都大学大学院理学研究科附属天文台
 後援: 京都府教育委員会 、京都大学総合博物館、京都市教育委員会
 協力: 京都情報大学院大学、恒星社厚生閣

天正十年の天変1

天正十年の天変1

 去年から金環日食・金星の日面通過,パンスターズ彗星・アイソン彗星の来訪と天文ショーが続いていますが,1582年(天正十年)といえば本能寺の変が起こって信長が呆気なく敗死という年,実は様々な天変が重なって起こったえらい年でした。 ・3月8日には京都でも安土でも赤気(オーロラ)が見えた。 低緯度オーロラは珍しい現象ですが,わが国の記録は意外に古く『日本書紀』によると推古時代の620年に現れたとのことです。また1204年の赤気出現のことは『明月記』に白光赤光相交奇而尚可奇可恐々々と書かれているそうです。やっぱり藤原定家はただの歌詠み,古文書収集家ではない,天文・気象現象に並々ならぬ好奇心を示しています。オーロラと言ってもカナダやアラスカで見られるような「緑のカーテン」ではなく,低空に赤と白の光がさして,山火事のように見えたそうです。・・・。1582年に安土にいた宣教師ルイスフロイス(1532-1597)は赤く染まった空について詳しく本国へ報告しています。 ・5月13日には彗星出現 日没後北西の空に地平からほぼ垂直に立っていたそうで,多数の人が見た記録があります。またヨーロッパではティコブラーエが詳しく観測しています。彼は1577年にも大彗星を観測していますが,その時の絵(相当オーバーですが)があすとろん22号p4に載っています。 ・5月19日には光り物が現れた。大流星,あるいは火球らしいが詳細不明。 ・6月20日には日食,その皆既ゾーンはアラビア半島~北インド~中国南部~太平洋を走り,石垣島なら皆既が見られたはずですが,京都では約6割欠ける部分食。15時半ころ見えたはずが,実は雨(梅雨のさなかですからね)で見えませんでした。本能寺の変の起こった六月二日という日付は旧暦で,ユリウス暦では6月21日です。だから1582年6月21日あるいは和年号で天正十年六月二日と言うべきで1582年6月2日という混合表記はおかしい。 (続く)    

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