京都千年天文街道

天文と歴史のツアー開催中

 主催: 認定NPO法人花山星空ネットワーク
 共催: 京都大学大学院理学研究科附属天文台
 後援: 京都府教育委員会 、京都大学総合博物館、京都市教育委員会
 協力: 京都情報大学院大学、恒星社厚生閣

明月記と超新星  藤原定家が残した世界に誇る天体記録とは

明月記と超新星  藤原定家が残した世界に誇る天体記録とは

藤原定家と明月記
藤 原定家(ふじわらのていか)は平安末期から鎌倉初期の歌人で,『新古今和歌集』の選者も務め,また『源氏物語』や『土佐日記』の研究者としても知られてい ます。 彼は『明月記』という日記風のエッセイを著していますが、これは18歳の治承元年(1235年)まで半世紀以上にわたって書き綴られたものです。
超新星爆発の記録
『明 月記』には多数の天文現象が載っていますが最も重要なのは超新星の出現記録です。 超新星とは「新しく生まれた星」ではなく「新たに見えた星」で,それまで全く見えなかったところに突如として星が輝き出し,一夜にして10等級以上も明る くなります。実は星の最期の大爆発で,星の生涯のうち最も劇的なシーンです。 望遠鏡のない時代の超新星の記録は世界で7件しかなく、そのうち3件も記載がある本は『明月記』だけです。
ひ とつめの超新星の記録は、寛弘三年四月二日(1006年5月1日)の深夜、南の低い空に出現した大客星です。半月くらい明るく輝いたそうで、太陽と月を除 けば人類観測史上最も明るい天体です。  そして明月記の1054年の客星出現記録は世界で初めて歴史に記録された超新星として認められました。日本の他には中国、アラビアの記録はありますが、欧 米からは一例も見つかっていません。
すべて定家が晩年になってから、陰陽師・安倍泰俊(やすとし)から聞いた古い記録を書きとめたもので、わが国の陰陽師の記録はスゴイといえます。 当時の人々は驚き恐れていましたが、高い塔に登ってこの星を捕まえようとした好奇心旺盛な京童もいたでしょうね。

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