京都千年天文街道

天文と歴史のツアー開催中

 主催: 認定NPO法人花山星空ネットワーク
 共催: 京都大学大学院理学研究科附属天文台
 後援: 京都府教育委員会 、京都大学総合博物館、京都市教育委員会
 協力: 京都情報大学院大学、恒星社厚生閣

京大天文学の始まり

京大天文学の始まり

 明治30年(1897年)京都にも帝国大学が設立され、近代科学の研究が始まりました。京都における天文学研究の創設者である新城新蔵(1873-1938)は、東京帝国大学理科大学物理学科を卒業後、京都帝国大学理科大学物理学科に赴任、ドイツのゲッチンゲン大学への留学を経て、1907年には理学部物理学科第4講座教授に就任しました。これが京都における現代天文学の始まりです。  1910年に建設された当時の京大天文台で、東大路通り沿いに小ドーム(図1)が立っていて、その中にはザートリウス18cm屈折望遠鏡が設置されていました。1921年に京大宇宙物理学科を新設。天体物理学、観測天文学を紹介、教授するとともに、東洋天文学史を創始し、京大宇宙物理学研究の基礎を築きました。その後、1929年から1933年には第8代京都帝国大学総長を務め、その胸像が時計台の東に建っています。
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                                                         図1 京大天文台(東大路通り沿いの小ドーム)  新城博士が教授を務めていた当時、宇宙物理学教室と天文台は、現在の総合博物館の南にありました。また、時計台西側の現在も残るレンガ造りの建物は、物理学科数学科教室でした。1914年(大正3年)頃の京都大学の本部構内にはまだ時計台は建てられていませんでした。 新しい画像                                                                    図2 京大天文台と時計台 大正末には時計台が建設され、その西北、小ドームの隣に宇宙物理学教室の建物が新築されます。図4は京大天文台から東に向かって撮られたもの、時計台も写っている貴重な写真です。現在この地には「皇攘堂」という何ともいかめしい名の建物がありますが、その中はほとんどだれも知らないようです。総合博物館の南で、筆者もウン十年もこのあたりを通っているはずですが、ほんの最近になって宇宙物理学教室の富田良雄氏[3]から聞いてその存在を知りました。そのころ京大天文台では一般市民向けの天体観望会も行われていました。  その後、天文台は、1929年に建設された花山天文台として移転しました。ザートリウス屈折鏡も御年100歳を超えても現役で働いています。宇宙物理学教室は1939年に北部構内に移転し、現在の建物は1980年に建て替えられたものです。新城の後任は観測面では山本一清(1889-1959)が、理論面では荒木俊馬(1897-1978)が当たりました。山本は1920年に天文同好会(現在の東亜天文学会)を結成しました。退職後も大津市自宅で活動を続け、生涯を通じて天文学者とアマチュア天文家の橋渡しをし、わが国のアマチュア天文学が世界トップレベルとなった基礎を作りました。またアインシュタイン京大来学時(1922年)に荒木が学生代表としてドイツ語で挨拶を行ったことは有名です。ドイツ留学して帰国後、京都大学教授に就任。京大で初めて量子力学の特別講義を行いました。その受講生の中に湯川・朝永両名がいたそうです。変光星、白色矮星、膨張大気の理論的研究を行い、専門書から一般普及書まで非常に多くの著書があります。後に京都産業大学を創立し、初代学長を務めました。

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